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「2024年10・11月」追記して全体的に調整しました。
不繋之舟 出典 荘子 列禦寇
印章業界の作品展に出品した後に
今から大方30年前に俗に言う作品展に出品したのが初めてでしたが、
大阪府印章技術展覧会(現大印展)印章業界の技術研鑽の為に毎年開催されている技術展
第40回大会でしたが
その時は書き文字職人を志して修業活動を始めたところで、技術もないのに煽てられていい気になって出品した訳ですが、何をしてるのかも分からず結果も散々でした。
何せ右も左も判らずなのでそうなりますね。
教訓として教えられたのがこのままでは誰にも相手にされへんなぁと思い知らされました。
それから後に再トライするのが11年後になるのですが、
トラウマという訳ではなく家業(印章業)を継ぐつもりが無かったのと、
自分で始めた事業でしたので家業とは関係ないところでした。
成り行きです。
結果的にそれから11年間ひたすら書き続けて経験を積んで2回目の出品と
運ぶわけなのですが、「当初は書き文字屋、揮毫業、筆耕業でした」
きっかけとしての事はあったのですが、それから大阪・東京の業界の作品展には、
飛び飛びですが結構出す訳で、良い時も悪い時も結果は頂いたというところです。
「部門色々あります」
自分ではよそ見せずに過ごしてはいたつもりからの変化でしたが、
やってるとハマるというか面白かったので、そして今に繋がってます。
それから時を経て
篆刻をするきっかけは、お客様からご依頼頂いた作品に落款を押すのに、
”うん”良いのが無いな
無謀にも自分で彫れんかなと考えたんですね、正直無茶です。
今真面目に考えたらですが、
今真面目に考えたらですが、
色々調べてみましたが全く何から?状態でしたので、単純に考えて、
実家家業の印章関係業界に何か無いかな?とっ!
それで講習会があると聞いて申し込んで、今の師匠と出会います。
それをきっかけに篆刻、印章彫刻も勉強することになりここまでの流れとなりました。
それから時を経て、4年前、師匠から出してみぃへんかと言われて上記の白文作品を
(業界の展覧会・作品展には篆刻は出してましたが)初めて日本書道学院展に出品しました。
結果は自分が思う所良くも悪くもはなかったんですが、意味も含めて自分では、
たいへん気にいってます。
不繋之舟(フケイノフネ)外部から束縛無き無心な事
出典 荘子 列禦寇
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